【世界一周!ファーストクラスで一人旅】 後半8 スピンオフで行くボスニア(Bosnia)
隣国のボスニア(Bosnia)とヘルツェゴヒナ(Herzegovina)もバスツアーで行くことになりました。
意気投合したシカゴからきた同年代の女性二人組といっしょに申し込んだ少人数ツアーで、変わらず早朝7時半の集合だが、ホテルで朝食を食べ、余裕でいっしょに集合場所へ行きました。
今度はしっかりユーロを持参しました。(爆)
行って分かったが、ボスニアではユーロ、クロアチアのクーナ、そして自国通貨の兌換マルク(Konvertibilna Marka)の三種類が使えるが、物価は安めで、レストランだとクロアチアの約半分位です。
しばらく走るとボスニアの国境です。ボスニアの国境警備員が車に乗り込み、前日より時間がかかりました。



一、メジュゴリェ(Medjugorje)という聖地
最初に到着したメジュゴリェ(Medjugorje)は大変有名な聖地なようで、教会には敬虔な若い信者がいっぱいで、盛大なミサが行われています。


1981年に近くの山の中腹(Apparation Hill)で聖母出現の伝説があり、シカゴの二人組がこの聖地を訪ねるのがメイン目的なようです。シカのような長足と週六日のジムで鍛えられた彼女のペースでハイキングするのはとても無理なので、私が教会周辺で聖地巡りをすることにしました。


二、エキゾチックな世界遺産のモスタル(Mostar)
ボスニアのこの街をずっと前から訪ねてみたかったです。特に街のシンボルでもあるスターリ・モスト橋(Stari Most)の姿を一見したいです。
数年前まで外務省はボスニア・ヘルツェゴヴィナを「十分注意」の渡航先と注意喚起をしていたが、街の至ることろに戦争の爪痕がまだ残さっていながらも、現在はすっかり平和を取り戻されました。
内戦時に残さらた境界線の跡地と戦争で破壊された建物、


すっかり観光地に変身した旧市街の入口、


一歩旧市街に入ると、オスマン帝国ゆかりのイスラム文化がとても色濃く残る街道と露店で、まるでイスタンブールのどこかに迷いこんだような錯覚がした、


モロッコでも見たような伝統的な皮製品の染色工房跡地、


おしゃれなイスラム住宅風のホテルとレストラン、


奥に進むと、街の象徴の古い石橋スタリ・モスト(Stari Most)の姿が現れた!
長い間、西側のカトリック教徒(クロアチア系)と東側のイスラム系住民(ムスリム)がこの橋を行き来していましたが、1993年の民族を引き裂いた旧ユーゴスラビア内戦で一旦全壊された悲しい歴史もありました。
ユネスコの支援もあって、2004年の再建でその美しい姿が再現され、いまはすっかり平和のシンポルとなりました。




旧市街には山の高低差を巧みに取り入れ、素敵なお店がたくさん点在しています。




素敵なお店が多くすぎて、ランチをどこでしようかと、悩む、悩む.......




悩んだ末、ハプリカにお肉とお米をいっぱい詰めた『ドルマ』という郷土料理を選んだが、香辛料が効いていて、とても旨かったです!
これで前菜サイズですが、隣の席にはフランスのボルドーからきた親子で、小学生の男の子はお人形のようにかわいくて、二人はなんとステーキを二人前注文したようです。
モスタルの地形は南仏のムスティエに似て、懐かしいフランスの話をしていたら、巨大なステーキが来て、全員びっくり!


食後のカフェ探しでまた悩む、
こういうところで水タバコを吸いながら、ぼーとしている欧米人を見て、たぶん気分はすでに天国だろうと妄想してしまう......


モスタル、時間があればゆっくり1、2泊位をしたいところですね。
三、おまけ満載の帰り道
帰り道、高い鐘楼のある聖ペーター教会(Saint Peter and Paul Monastery)に入ったら、なんと内装工事中です。 教会の内装は初めて、



しかも、鐘楼のエレベータは点検中で、370段の階段なら登れるが......
さすがに無理なので、現地風のクリームソーダを飲みながら、ちょっとpeople watching


途中で立ち寄った小さな村






少人数の愉快な一日かな、最後にドブロブニクの新港で写真ストップまで立ち寄ってくれました。